#ナンが焼けたよ

スマホ版MMOLineageIIRevolutionで活動するマスターセイジ【インドの僧侶】のブログ

【番外編】なりたかった自分(還俗して約1年の私

さてさて久しぶりのブログ更新!

今回はお伝えしたい事があって、というのとはまた違う意図の内容です。

先にツイートした先日受けた国家試験に纏わる番外編という位置付けで、何のためにもならない単に吐露したかったさっちゃんの心の中のお話しですので興味ある方、流し読み程度に…お時間のある方御付き合い頂ければ、と思います。

一言でいうけど、ほんと吐き出したかっただけ!笑、だからつまらないと思うしネガティブさっちゃんも出てくるので先に言っておきます!笑

このblogは過去に使っていたものですがさっちゃんには今このブログしかないのでここで失礼しますwもうインド要素はないよー!w

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まず最近フォローしていただいた方もいますので簡単な前提を。

8月25日、国家試験である調理師免許の試験を受けました。合格発表は先日10月15日でした。

◆試験の内容と合格基準について

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f:id:namasute_IND:20211019154202j:image国家試験としては合格基準は比較的緩め、合格率は毎年ほぼ60%

ポイントはどの科目も満遍なく勉強しなければならない事

ツイートもしましたが結果から発表します!

無事合格しましたー!!!ヤッ*。٩(ˊᗜˋ*)و*。ッター!

発表日はめちゃくちゃ緊張しました…wちなみに合否確認はネットでしました!リアルタイムで声入りでその時の様子を録画保存したのでテンパりまくったさっちゃんが見たい方はこちらの動画どうぞwww(音量注意)

https://youtu.be/WXCA4UyJgiA

沢山の方に応援して頂きました、良い報告が出来本当に良かったです!その節はありがとうございました!

ちなみに本日免許申請の手続きに行き同時に採点結果の開示請求もしてきました。

60%以上で合格、問題数は60問なので39問以上正解が合格

自己採点の結果

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公衆衛生学10問(正解数)/10問(出題数)

食品学3問/5問

栄養学6問/10問

食品衛生学9問/15問

調理理論8問/15問

食文化概論3問/5問

トータル39問/60問

そして結果

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あぶねぇーwwwwww自己採点もギリギリだったけど結果も本当にギリギリだったwあと2問間違えてたら…:;(∩º﹏º∩);:首の皮一枚なんとか繋がりました…

 

なるべく早く報告をしたかったのですが後述で少し触れますが数日経ってからの発表になってしまった事、一緒に結果を心待ちにしてくれていたお友達、お詫び申し上げます。

以下、番外編本編

◆調理師免許が欲しいと思ったきっかけ

3年前、当時息子の習い事の先生との会話

「お仕事は?」と言われレストラン勤務と答えた所「ウエイトレスさん?」と。

厨房と答えると「え?!調理師なの?すごい!」と。即座に「調理師では無いんです(笑)」と返すと「あーなんだ、ただの作ってる人なら大した事ないね苦笑」

私はショックだったしでも何も言えない自分が悔しかった。

◆悔しかった理由、何も言えなかった自分、将来の夢

私はその言葉を飲み込む事が出来なかった、何故なら兄が調理師だからだ。

兄とは小さい頃からよく比較されていた。優しくて温厚で物静かな兄。何かと兄は優しいのに、兄は大人しいのに、など。親や親戚にそう言われて育ってきた。兄は私の憧れでありコンプレックスだった。

無論それだけでは無い、兄は有名な某私立高校出身。私は市内の普通の高校。小さい頃から音楽が大好きな私はずっとミュージシャンになるのが夢だった。自分も音楽で有名な私立高校へ進学希望したが先生にも親にも反対され諦めた。兄は高校卒業後、調理師の専門学校へ。私もまた音楽の専門学校への進学を希望したがまた音楽なら趣味でも出来る、と一蹴された。そして就職した。

余談だが中学の時の未来への自分の手紙にもこう書いてたくらい自分は将来音楽の道を進むと信じて疑わなかった。

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就職後もバンドをしていてお金が貯まったら専門学校行きたいとも考えていた。会社の人には仕事しながらでもバンドは出来るから、と諭されていた。誰も自分の夢を理解してくれないと思ってた。でもそんな時憧れのアーティストにHPで「どうしたら周りを説得出来るか」みたいな質問をしたら返ってきた言葉は「環境や周りのせいにしてるだけじゃない?」だった。正論過ぎて何も言えなかった。周りの声がどうであろうと自分の成りたい道を結局諦めたのは自分だった。私は何をしても中途半端だった。

話は脱線したが、とにかく調理師じゃないなら大した事ない、の一言が火をつけた。悔しかった気持ちをバネに「絶対いつかなってやる」と決めた。

◆そもそもの経歴

高校時代はレストラン厨房でバイト。その後私はスーパーに就職して惣菜部に配属。料理のいろはを教えてくれたチーフはとても厳しかったけれど良くしてくれた。僅か10ヶ月足らずで小さな店舗の部門長になった。独り立ちしてからは毎日手作りで12品目の煮物に加え揚げ物等朝の6時には出社し仕込む日々だったが数ヶ月後には子供が出来て退職した。結局仕事も中途半端だった。

それから12年後、中学からの同級生であり大人になってからもよく遊ぶ料理作りが趣味の仲間だった今の職場の店長が6年前の5月下旬、うちの会社こない?と誘ってくれ今に至る。

ちなみに前途したチーフ、退職後もよくしてくれていた。数年会っておらず今年の7月に久しぶりに試験を受ける報告も兼ね勤め先は変わってない事を聞いていたので顔を出したら残念な事に去年の秋に急死した事を知った。いつか仏前で拝める日が来たら自分のルーツを作ってくれたチーフにも感謝と合格を伝えたい。

◆調理師を目指し始めて

悔しい出来事からすぐにでも試験を受けたいと思い調べたら試験は年に1回、受付は5月中旬まで。

受験資格には2年以上の実務経験が必要だった。その2年にあと数日足らずでその年は受験出来なかった。

正直職場では所謂、御局様の理不尽アタックで虐められていたし辞めたかったけど、調理師免許を取りたいという思いだけが自分の心の支えで仕事を続けた。時間と共に人間関係は落ち着き、先輩達には「あんたよく辞めなかったねw」と言われた時「調理師になりたいんです」と言うとその日から先輩達はその夢を応援してくれた。

翌年には受験しようと思っていたがコロナが始まり受付期間の5月には非常事態宣言が出て断念した。だけど今年もコロナだったけどいつまでも「いつかなりたい」じゃ進まないと思ってた。

◆「いつかなりたい」ではない「なりたい自分に今、向き合う事」を教えてくれた人との出会い

今から2年と少し前、趣味を通じて知った人がいた、SNSを見つけると才能に溢れた人だった、それから半年後たまたまひょんな事がきっかけでその方とお話し出来る機会が来た

それから度々連絡をとるようになり知ったその方のご職業は今まで自分の身近にはいない職業で物凄く仕事熱心で一生懸命で自分が知っている誰よりも労働環境は大変なのに、黙々と自分の仕事と向き合う人で、すごい方なんだな、と尊敬した。何より凄いのはその方は決してそのような姿を周りに見せない事(わかりやすく言うとSNSとかで書いたりしない)そして努力を表に出さない方だった。私なんかはもうほんとちょっと仕事忙しかったりしたら連勤だー!だの、試験勉強の時でもこれだけやった!とか頑張ってるアピールしちゃうタイプの人間でw自分に無いものを沢山持っている凄い方だった。そんな方と接して仕事や自分がやるべき事に向き合う姿勢に大変良い意味で刺激を受けた。私はその人のようにはなれない、だけど私には私の夢や目標があってそれを「いつかなりたい」じゃダメだとその方を見て、その姿から教えてもらった。資格試験の話をいつかした時には応援してくれた。その後その方も更に多忙になりその旨の話を受け「お仕事頑張って下さい!」と見送った。それはちょうど試験受付開始5日くらい前の出来事だった。私はその方と知り合い、学んだ事を自分にとってプラスにしたかった、自分の中できちんと形にして残したかった。

そして前途したきっかけ等、何事も中途半端で結果も出せず、そんな自分に自信が持てない自分を変えたかった。だから何としても結果を残さなければならないと思った。自分に大事な事を教えてくれたその方に1番に報告しよう、とその時決めた。

◆試験を受けるにあたって

実務経歴書を会社に作ってもらう必要があり人事や総務と度々連絡をとったが会社側の不手際や認識違いでギリギリまで書類が完成せず、試験が受けれるかすらわからず焦りや苛立ちがあったがなんとか間に合い、願書提出。この頃から国家試験を受ける事をTwitterでも書き始めた。

◆試験に向けて

勉強じたいは去年の冬頃からアプリを使いつまむ程度にはじめていた。

余談だがちょうど「インドの僧侶」を還俗した頃の後。還俗した時はホルモン治療で薬の副作用が強く鬱になっていた。誰の事も嫌いになった訳では無かったからTwitterをはじめ知り合い仲良くしてくれた人には本当に申し訳無かったが、余裕のない自分は辛くなってしまった。そして余裕がなくなった自分が嫌だった。人に優しくあれない自分や、このままでは自分、そして本当に身近な大切な人ですら大切に出来なくなるのが怖くて、インドの僧侶を辞めた。

その後ホルモン治療の薬を変えてもらい鬱はすっかり治り仕事復帰と共にアプリから簡易的に試験勉強をはじめた。

話は脱線したが願書を提出してからはひたすらに勉強した。私は残念ながら地頭が決して良い方ではない。この歳でも恥ずかしながら言葉を間違えて覚えていたり計算が出来なかったり。はっきり言って頭が悪い。だからこそ人の10倍、それ以上に努力しなければならなかった。

◆試験勉強

私はまず読んで覚える事が出来ない。ゲームでもなんでもそうだが何かを覚えたりしたい時はメモに書き起こして、書かなきゃ理解が追いつかないタイプだった。だからひたすら参考書を見てまとめて書いた。学生時代、板書をノートに書いたように。時に書ききれない程の部分はコピーもして貼り付けたけども。

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とにかく書いた。

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最後はノートが2冊になった。非常に効率が悪いのは理解していたがそれでも書かなきゃ覚えられなかった。参考書はボロボロになり付箋はもうなんの付箋か分からないほどになった。


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ネットを利用し過去問を繰り返し解いた、同じ問題だから回数は増す度に当然正解率は上がって自信はついたが言っても過去問。参考書のミニ問題もひたすら繰り返した。

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◆試験勉強の裏側で

12月頃から具体的な事は完全にプライベートというか家庭の事情なので割愛させてもらうが諸々問題が起き5月には更にそれが展開し結果私は仕事を増やしたのが6月。夜はカラオケ店。平日は25時まで、金土祝前日は朝4時まで。その隙間に勉強してたから当然勉強時間が思うようにとれずいた。というかこれは算段違いの部分もあって昼間の仕事がコロナ禍で激減していたので上手いこと昼間勉強して夜仕事、なんて考えていたら6月頃にはコロナ禍がなんのそのw昼間も繁忙期に入り思惑が外れてしまったのだw肉体的にもキツかったが中途半端な自分を変えたかったし環境を言い訳にしたら何も成長出来ない、諦めるなんて気持ちは毛頭無かった。その頃リネはもう出来ずにいた。ただ、リアルの付き合いもある友人に「今仕事忙しい?時間ある?」と聞いただけなのに「日課?やっとくよ!」と言わずともはからってくれて、ありがたいことにゲーム内での紗雪は元気に日課をしていた…はず。影武者さん、ありがとう…。

◆いよいよ試験まで1ヶ月切る頃~試験1週間前

何かと好奇心旺盛な私は集中力が切れてしまう為全部のディスコを抜けた。全ての時間を勉強に費やした、今年が駄目ならもう1年先まで待たなければならない。それは嫌だった。自分の中でもし試験の結果が駄目ならそのままゲームもやめてTwitterも消してネット断ちしようとか考えたけどもそもそも受ける前から落ちた時の事考えるとかダサいな、と思ってひたすら受かることだけ考えて勉強した。1週間前には昼も夜も両方仕事はおやすみさせてもらった。勉強しても時間は足りず、ご飯もまともに食べてなかったし狂っていたと思う。食べ物みても栄養学がチラつく…。朝の9時から夜中の2時頃まで家事以外1日14時間位は勉強してたんじゃないかな。Twitterもいよいよ勉強関連ばかりじゃ今の垢のフォロワーさんもTLがうるさいかな、と思い勉強用のTwitterを作って入り浸った。(結構便利なのよ、タグ付けとかツリーにできるから項目毎に分類したり探しやすかったり写真も添付できるからTODOリストを作ったり)

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勉強で何が大変だったかは調理師なのにこんな勉強するの!?って科目が多かった事。食中毒が絡むから感染症の事や環境問題があるから公害のこと、調理施設に関することは建築法なんかも入ってくる。食文化という部分では日本や海外の歴史も関連してくる。本気で目指して初めて大変さを知った。やって見なきゃ分からないことはこの歳でも沢山だった。追求するという事がどれだけ大変か知った。

◆試験当日

やれることはやった。

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試験会場は車で2時間くらい離れた所だったので早めに現地につき車内でギリギリまで勉強した。そして試験開始。出せる事は出したつもりだった。

帰り道、一気に人の声が聞きたくなって血盟員とぽちぽち通話しながら帰宅した。本当は試験結果が出てからリネに戻ろうと思ったけど結果が出るまで2ヶ月以上あったしその直後また非常事態宣言に入り夜の仕事が休業になった事もあり時間が一気に出来て早々とリネに戻ったw

みんながおかえりって言ってくれて嬉しかった。

◆合格発表まで

時間に余裕が出来て気持ちにも余裕が出てきた。自己採点は試験翌日にしたら何とも言えないギリギリな結果で不安だったけれど。

気持ちにゆとりが出来たさっちゃんは期間限定で「インドの僧侶」に戻る事も考えた。なんせもし合格してたらblogに溜まってたもの吐き出したいなーとか思ってたしblogはここしかない。ずっと考えてた。だけどずっと考えて自分が「インドの僧侶辞めたい、つらい」って言った時にその気持ちを汲んでくれて守ってくれて身を隠す事に協力してくれた沢山の人がいた事を思い出した。安易に自分の面白いかなーって思いつきとblog書きたいって理由で名前を戻す事は自分勝手だな、と思って辞めた。じゃあどうしたら良いか。まずはTwitterの鍵を外してまた外の世界と触れ合う事にしてみた。怖いな、って気持ちはあったけどやっぱり楽しいことの方が多くてインドの僧侶時代のお知り合いを見つけると嬉しくて、もしもーし、とひっそりDMで袈裟をチラつかせるとみんなも驚いたりしながらも暖かく受け入れてくれて自分の事も覚えていてくれて嬉しかった。そしてなんだか今なら大丈夫な気がして、じゃあどうしたら良いかって思った結果、紗雪はインドの僧侶である事を明かした。

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これならblogも使えるしw

プロフィールみてまた繋がってくれた方ありがとう。またよろしくね。

◆合格発表当日から今日まで。

最初に書いた通りwただ前途した1番最初に報告したかった方が忙しいかな、と思うと報告して良いものか戸惑った、本当は自分にとって大切な事を教えて貰った感謝の気持ちとかも伝えたかったけど長くなっては読むのもしんどいかな…とか考えてるうちにワクチン2回目の副反応とかもあり数日考えたけれど、やっぱりまずは1番に報告したいな、という気持ちは変わりなかったので感謝の気持ちは置いて報告というシンプルな形で報告させて頂きblogの筆をとりました。いつかゆっくり話ができる機会があれば自分の口から直接感謝の気持ちを伝えたいと思う……思うけど私大事な事ほど言えなくなるタイプだから自信ないwwwまぁタイミングがあればごにょごにょ(濁すw)

もちろん、亡くなったチーフにもいつか報告したい。というかそれはご遺族の都合がつきしだい絶対行かせてもらう。

そんなこんなで応援してくれた皆様への御報告が発表より数日遅れましたが…!!皆様本当にありがとうございました!!

何事も中途半端で、何者にもなれなかった私は37歳にして初めて自分の夢を叶えて自分の中の壁を越えれたと思います。ちょびっと自分に自信がついたよ!!!

小さい頃夢みた職業とは違うけれども、旅先での食事が好きで修学旅行の作文もご飯の事しか書いてなかったようなさっちゃん。余程旅の想い出が美味しいご飯だったのでしょう。今はそんな観光客、団体様向けのご飯を作っているよ。最近修学旅行生のツアーが毎日のように入ってます。どうか楽しい旅行の美味しい食事でありますように。

しめます!最後まで御付き合い下さった方ありがとうございました!!!

 

 

 

 

 

 

--------キリトリ線--------

追記  10.20  宣言通り写真は削除しました🙏