#袈裟を脱いだよ ~君といた夏~
早速ですが
袈裟を脱ぎます
ちょっとこれ
普段はとても重宝してるけどたまぁに重くて鎧みたいなのよね~w
ここに大切に掛けておいて…っと。
ふぅw解放されたw
今回はインドの僧侶としてでは無く
中の人としてお話ししていきます。
口調もここから先は普段の自分として書くね。
今回の記事は表に出していいのか1か月前から思い悩んでたんだ
公開した今でもこれが正解なのかは分からない。ただ書き終えた今後悔はしていない。
悩んでた理由は自分自身との葛藤で。
でも決して隠している訳じゃなくて。
かと言って大々的に話した事が無かったからふんわりとなら仲良い人には伝えていたお話しなんだけど
5月28日に3度目の記事を公開した時『2ヶ月後に更新』なんて言ってたけれどすぐ気付いた
「その時期はダメだな」って。
それもあって他に起因はあったものの時期をずらそうと6月6日に記事を更新してたんだけどさ
だけどこの『7月週1更新企画』の要望にOKを出してね
多分他の記事でやり過ごす事も出来たんだろうけど…
私の中でどうしてもこの時期は気持ちがいっぱいになり避けて通れない事があって。
最後までうまく書き遂げられるか分からない
だけどいつもは書き殴るように当日に記事を仕上げ更新してきたブログだけど
今回ばかりは日にちに余裕を持って大切に仕上げたいと思ってる。
ここから先の話は
私にとってとても弱い部分
そして私が決めた自分へのルール
そんなお話し
ひとつだけ皆にお願いがあるの
ブログを更新すると血盟や仲間内のVCで話題にして貰うんだけど今回ばかりはブログ公開のお知らせツイート以外では触れないで欲しいんだ。
腫れ物のように扱って欲しい訳じゃない
ただ、心に直接触れられているような気持ちになりそうで…。
読み終えた方は心の引き出しにそっと閉まって貰えると嬉しいな。
それでも良ければこの先最後まで御付き合いして貰えたら嬉しい。
読む人によっては読み進める事を躊躇う人もいると思う。
その時は無理しないで、読むのやめてね。
じゃあ書いていくね。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
次の木曜日、7月23日は娘の誕生日なんだ。
私の自慢の2人目の誕生日。
普段Twitterやブログでは長女の事はインドのJKと呼んだり末っ子の事はインドの小僧なんて書いてるけども2番目だけは『藍』と名前で書いていくね。
藍の事は普段なかなか話題に上げないから2人兄弟と思ってる人も多いと思う。
でも私の子供は3人なの。
藍は元夫との2番目の子で長女の3歳下
笑顔が可愛くて私と同じ7月生まれで同じB型
唯一3人の中で私が命名した子
命名に関しては
お腹の中にいる時から愛らしくて
でもカッコ良さも兼ね備え強く育って欲しいという想いから凛としたイメージの漢字を、と思ったのがまずひとつ
次に藍は帝王切開で産んだんだけど手術室で流れてた有線で半身麻酔で朧気な中で当時流行っていたAIのstoryが流れた事
そして姓名判断をした結果『千載一遇のチャンスをものにする、大吉』という事で決めた。
毎年藍とは誕生日に2人きりでデートする。
ルートもあらかた決まっていていつものコースに加えプレゼントを選び、ご飯を食べ帰宅する。
プレゼントは年々小さいものになっている。
藍の狭い部屋には収まりきらなくて場所を取らないものを選びがちになる。
一生懸命、藍に「どれがいいかなぁ?これとか可愛いよね~」って話しかけながら藍が心から喜んでるかは分からないけれど。
その位の歳の女の子って何が好きなんだろ~とか思いながらじっくり選ぶ。
せっかくブログにすると覚悟したから濁すのはやめるか……
藍はもう私の傍にいない
どれだけ手を伸ばしても届かない所にいて
どれだけ願っても会うことは出来ない
藍は亡くなったの
今から13年前の8月1日に。
生後9日の短い生涯を一生懸命病気と戦って
小さな身体で沢山の大切な事を命をかけて教えてくれた。
輝かしい未来と引き換えに。
時間は経ち今は私も日常を送っているけれど
乗り越えれた、なんて思えた事は1度もない
多分この先も乗り越えれる日はないと思う
でもそれでいい
辛い感情に素直に向き合う事が死を受けいれる、という事だと思ったから。
この気持ちは例えようがない
予想の範疇を越えた経験は自分の未来さえも奪われた気持ちになった
だってね
小さな頃思い描いていた未来は
いつか結婚して、子供が生まれて、そのうち自分の親が亡くなって、なんて事はぼんやり思っていても
いつか結婚して、子供が生まれて、子供が死んで、なんて事は微塵も自分の未来予想図にはなくて。
出来ることならこんな経験したくなかった。
当時私は23歳だったけれど多分何歳でも子供の死は受け入れ難い事だと思う
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
誕生日の話に戻るね
買い物中は傍から見れば少し大きめの鞄を携えた独り言を言っているおかしな女だろう。
もちろん独り言のようなふたりごとは小声なんだけど。
少し大きめの鞄には
諸事情で1度は入れた納骨堂から引き取った藍の骨壷が風呂敷とタオルで包んだ状態で入ってる。まるで赤ちゃんを包むおくるみのように。
2人きりでデート、とはそういう事だ。
火葬場には拾いきれなかった骨を1箇所に埋めてくれる所がある
藍のほんの一部ですら気がかりで
年に1度だけど決まっているルートの最初にはその火葬場が組み込まれている。
藍の欠片に手を合わせ1日が始まる。
今年の7月23日にも私はそうしているだろう。
来年も10年後も自分の力で動ける限り。
仏壇は決して大きなものでは無くプレゼントを買っても年々飾る場所が減りここ数年では硝子細工であったり壁に飾れるものであったりコンパクトになってる。
まるで賑やかなこども部屋だ。
(写真日付︰2019年7月23日)
少しでも淋しくないといいな。
これでも10歳くらいまでの贈り物は別箱に保管してるんだけど…。
誕生日、クリスマス、夏祭り、秋祭り、旅行へ行った時、初詣の御守り、ハロウィン、雛祭り、色んな贈り物があるから季節感がわからないねw
お姉ちゃんと弟に贈り物をした時は藍にも一緒に。
私が決めた『子供達には平等に』
自然と私に促される事無く妹にお土産や贈り物をお小遣いから買う長女には感心と感謝をしている。
誕生日の夜はみんなでケーキを食べてパーティーをする。
主役を真ん中に。
3人兄弟が集まって食事するのは誕生日と年越しの年2回。私の大好きな3人の子供達が揃う写真はとてもお気に入りだ。
(写真日付︰2017年7月23日)
今年の誕生日も時間が許す限り2人でデートしてプレゼント選んで夜はみんなでお祝いしようね。
誕生日だから藍が楽しめるように。
ママは『誕生日は絶対泣かない』って決めてる、意地でも。
でもどうしようもなく苦しくもなるんだよ。
プレゼント選んでる時もお菓子を選んでる時も最初は楽しい、どれなら喜ぶかな!ってわくわくする。だけど考えても考えても私は藍が何が好きか分からないんだ。
母親なのに子供の好きな物もわからないなんて、と思うとごめんね、で頭がいっぱいになるんだよ。情けなくなる。悔しくなる。
だけど誕生日だもんねって。
楽しい日に母ちゃんの泣いてるとこ見たくないよねwって笑顔にしてくれるから子供の力って凄いと思う。
-------------------‐-------------------‐
『誕生日は笑って過ごす』
誰に課せられた訳でもないけど決まりを作る事で幾分平静は保てる。
23日を無事終えたら命日の8月1日までは
『藍の事を心のままに想う期間』
という決まりも作っている。
1年のうちのたった9日間
私は心のままに藍を想い
おうちでひたすらゆっくりと藍との時間を過ごす。
泣きたい時は声を上げて泣くし
抱っこも沢山する
NICUに入っていた時流れてた
一緒に聞いていたα波オルゴールを延々と聞きながら
不思議なもので今年で13歳なのにいつまでもママには可愛い赤ちゃんのまんまで
どんな女の子になってるのかな
いつまでも赤ちゃん扱いするママを「変なのw」って笑い飛ばしてるかな
13歳の子はアンパンマンチョコなんて喜ばないかw
まるで普段お姉ちゃんや弟と話すように
くだらないことや他愛もないこと
そして藍と一緒にいた幸せだった時間の思い出話を繰り返すように
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
『一緒に過ごした時間』
当時、いつか藍が大きくなったら「こんなに大変だったんだよ~笑」って伝えようと思って書いていた手記がある
これと記憶を頼りにここから先は妊娠期からの藍との思い出話をするね
手記からの抜粋は “ ” で囲うね
生々しい表現もすると思う
ありのままを書こうと思う
2007.3
妊娠発覚
2007.5
第1子妊娠時に経験していた子宮頸管無力症
妊娠中子宮の入口の力が弱く赤ちゃんが大きくなると支えてあげれなくなり早産リスクが高まる病気
対策として「子宮頸管縫縮術」という子宮の入口を縛る手術をするが産科医と何度も話し過去の経過も踏まえ手術をせず経過観察する事に
2007.6
定期受診で卵膜が見えていた、即入院管理へ
最初は個室病室のトイレへの歩行のみ許可されていたが即全ての行動禁止に
何もかもベッドの上の生活、食事もトイレも。
2007.7.21
起きてはいけない陣痛が来てしまった
この時まだ妊娠7ヶ月
張りどめの点滴薬がMAX投与になる
2007.7.22
入院先の産院にはNICUがなく地元から95km先の総合病院への転院が打診されるも日曜日
なかなか許可が降りない。
点滴薬は変わらずMAX投与、先天性の心疾患がある母体にも限界が来ていた
2007.07.23 朝
担当医の到着と共に転院許可が降りる
母体は意識はあったけど声掛けに応答出来ない衰弱状態のまま救急搬送
転院先に到着、家族が同意書に記入している間進む緊急帝王切開術の準備
その中で耳に残ったのはドクターの「万が一の場合は母体を優先にします」の言葉
拒否したかった、赤ちゃんを救って欲しかった、でも声は出なかった
13時執刀開始
13時35分女児誕生、730g
母子共に救われた
産声をあげたらしい、聞き逃した
2007.7.24
“小児科の先生から心室中隔欠損症と言われる。ほぼ単心室に近いそうだが理解ある病気で良かった、大丈夫、お姉ちゃんも乗り越えたから絶対乗り越えられる”
私も先天性心室中隔欠損症。手術はせず18歳までは経過観察、今は症状があった時や妊娠等心臓に負荷がかかる所見がある際に不定期受診。長女も先天性心室中隔欠損症、心房中隔欠損症で生後3ヶ月で根治手術済。理解ある病気だった。
2007.7.25
“窓越し面会でお姉ちゃんがバイバイしたら藍もバイバイの様な仕草をした、偶然でも嬉しい。”
2007.7.26
“明日小児循環器の先生より今後の方針をお話ししたいと言われる。ママの人差し指と藍のかかとから膝までの長さが一緒だと気付く。ママと同じB型でした!やった♡ママは1ヶ月以上ぶりのシャワー浴びたよー!点滴も背中の管も取れようやく解放された…昨日に続き藍は元気です!”
2007.7.27
“小児循環器の先生からお話し。結論今北海道に1000g以下の赤ちゃんの心臓手術が出来る先生がいない。藍が3kgになるまで待つしかないとの事。何の異常もない730gの赤ちゃんが助かる確率は50%、それに重度心疾患がプラスされると…。0%では無いが何%とも医者は言わなかった。話し合い中は泣かなかった。でも病室への帰り道泣いちゃった。「お前が泣いても何も変わらない」ってパパは冷たくあしらったけど我慢するのはやめた。また頑張る為のスイッチが欲しいんだ。でも藍の前では絶対泣かない、藍が悲しむから。初めて自分の手で綿棒に含ませたミルクをあげた。出来るお世話が増えて嬉しい。”
20:43
“搾乳して面会へ、目標が欲しくて先生とお話し。①生後1週間で循環機能を整える②心臓が普通に動けばほぼ単心室の為肺に血液が流れ逆に危ないので管理しつつ生後1ヶ月までに出生時の体重に戻るようにする③そこまで来たら3kgになるのを待つ。だからまずは1ヶ月頑張ろうね。先生とのお話で生まれた週数で考えるとNICUに運ばれるまで生きてるのも難しいと聞いた、かなりの生命力の持ち主だって。それ聞いたら自然とまた藍なら大丈夫って思えてきた!今日も1日お疲れ様!また明日ね♪藍♡おやすみー♡”
2007.7.28
“藍おはよう!なんと!おっぱいが30ml出ましたー!藍にしたら何日分の量なんだ(笑)シャワー浴びたら行くね!”
21:00
“今日も無事1日が終わろうとしてます。少しだけ心拍数がいつもより低いから気になって先生に聞いたら今すぐ気になる点じゃないし状態安定してますって言われて良かったよ!また明日ね!おやすみ♡”
2007.7.29 16:41
“今までで1番長い1時間20分の面会に行ってきたよ!だいぶママの体力も戻ってきたかな!心拍数は低めだけど血圧は良好!心臓の動きもよく腸の調子も良いみたい!1回のミルクが0.5mlから1mlと倍に!自力呼吸も出来てお腹がちゃんと動いてた!綿棒に含ませたミルクあげる時「あーんは?」って言ったら本当に口開けた!「これ最後だよ!」って言った時も舌と口動かしてて感動した!手足もバタバタ、目はつぶってるけど動いてるのもわかる!”
20:33
“あまり見かけない看護師に「調子どうですか?」と念の為に聞いたらあまり良くないと言われた…。尿があまり出てないと。でも本当に何かあったらすぐ呼んでくれるとのこと。今は「今の状態」として受け止めておこう。 でも心配だ。また明日のお昼には元気な藍に会えますように。藍!ママ沢山おっぱい持っていくから!すくすく育って!頑張れ藍!ママはいつも傍にいるよ!”
2007.7.30
“13:00と15:30、2回面会行ってきた。昨夜から尿が出ていない。このままだと危ない。お願いです、藍を生きさせて下さい”
2007.7.31 21:51
“尿も出なく血圧がグンと下がってしまった。面会制限が無くなった。もう尿が出るほどの血圧がない。「本人だいぶ疲れてきてます」って先生に言われたよ。藍、まだ口が動くね、まだ足をくすぐればくすぐったいのかピクッと動くね。ママのミルクは美味しいですか?藍、今日は体がムラサキだね。顔も膨れて浮腫んでるね。藍、今日もとても可愛いね。藍、この世界には沢山美しいものがあるよ。夜中またミルク持ってくるからね、またお話ししようね”
面会制限がなくなり準備をする為急遽一旦帰宅した、本当は私の母にも元気な藍を見てほしかった。でも母はそこで会うと藍の死を認めた気になるような気がするから嫌だ、と私に言った。察した6個上の優しい兄がデジカメを持って病院まで一緒に来てくれた。NICUに入り藍を初めて直接見た兄は一瞬嗚咽をあげたがそれを呑み込み私と元気な藍の写真や動画を沢山撮ってくれた。
25:00
“夜と変わらず。眠れない”
何も出来ず死を待つだけの時間、病室は配慮の為個室に変わり窓を開けて夜風に当たってた
2007.8.01 09:00
“藍おはよう、元気に手足をバタバタして口もパクパクして今日も元気だね。ミルク綿棒上手に吸えてたね。足とほっぺこちょこちょ遊びしたね。楽しいかい?だけど指切りしたら藍の指冷たかったよ。ママの指がおかしいのかと思ってほっぺも足の指も太ももも触ったけど冷たいね。おかしいなぁ。またお昼行くね”
13:01
“藍がお腹に来た時嬉しかったんだよ、って言ったら藍、笑った。私は幸せだよ”
16時過ぎかな担当医から呼び出され「お父さんを呼んで下さい」と。その場でパパに電話すると走行音のような…やけに周りが騒がしい。「今すぐ来て」と伝えると「俺今遊びに行ってるから無理!そゆの苦手だし1人で看取って!」と電話を切られた。
親にも連絡、準備出来次第ずっと入院中実家に預けてた長女を連れて向かうけど遠方だから間に合わないかも知れないと。
今は1秒でも長く私は藍の傍にいないと。
ありのままを担当医に伝え1人で看取る事にした。
少しずつ藍の身体から沢山の管が抜かれていく
「お母さん、心拍が50を切ったらカンガルーケアをしましょうか。」と促されゆったりとした椅子へ。
どんな感情よりもやっと初めてこの手で藍を抱きしめられる事が幸せで幸せでたまらなかった。初めての抱っこ。初めて保育器越しではない会話。限られた時間で何を伝えよう。とにかく穏やかな時間を過ごそう。
そう考えているうちにいよいよ心拍が50を切り残る医療器具は呼吸器だけになり保育器から藍が取り上げられた。
やっと抱っこ出来た藍はとても小さくて軽くてとてもとても可愛かった。とても可愛かった。
担当医が見守りながら写真を撮ってくれてたようで後からその写真を見たらそんな状況なのに不思議と穏やかな表情で藍を見つめている自分が写っていた。
正直具体的にどれほどの時間そうして、何を話したかは詳しくは覚えてない。
だけどずっと腕の中で穏やかに眠る藍を抱きしめ続けながら「藍、愛してるよ、ありがとう」と伝えた記憶はある。涙は一滴も零さなかった事も覚えている。
享年当歳、死因心疾患による腎不全
“でも藍の前では絶対泣かない、藍が悲しむから。”
自分で決めた約束は最期まで守れた。
亡骸を抱え3人の担当医に頭を下げる。
「どうかここにいる全ての子が無事に育ちますように」そう伝えると3人の担当医は、はっ!とした表情で立ち上がり深々と頭を下げ返してくれた。
その時はその表情の意味は分からなかったけど、数年経ち「なんであの時自分の子供が亡くなってるのに他の子の幸せを願えたんだろう」と思った。それほど心から穏やかな最期を迎えれたのだと思う。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
亡骸を抱え帰宅してからは目まぐるしい程事務的な事に追われた。自宅での密葬の準備。1ヶ月以上空けた自宅は男の一人暮らしと化したような、いやそれ以上の。例えば炊飯器を開けたらカラフルになってたり、ねw
術後産後の身体でひたすら動いた、市役所での手続き、葬儀屋との打ち合わせ、買い出し。勿論自分の親や兄も全面的に協力してくれた。
悲しいのに哀しむ暇がなくて。
弔問客の対応。なんだかどこか他人事のように淡々としていたような気もしなくは無いが何せほとんど記憶が抜け落ちている。
今こうしてブログを書きながらPCにある藍の写真を眺めて火葬が4日に行われた事に気付く位記憶が曖昧だ。
強烈に記憶に残っているのは火葬が終わり焼き台に残されたほんの僅か、かき集めたら両手で全部すくえそうな程小さくなった藍を見た時あんな声が出るのかと思うほど断末魔のような絶叫をした事だ。藍の2度目の死は肉体の死を遥かに超えた。倒れかけた私を実父が支えてくれて橋渡しをした。「ここがエコーで見てた骨だな」とか思いながら崩れないようにその脆い骨を優しく拾い上げた。それでもどんな姿でも愛おしくてそっと撫でた。
PCにある火葬に至るまでの写真を見ても私はひたすら藍を撫でていた。
しばらくそこから先の事は自分の記憶にない。
藍に会いたいって思ってた。会いに行きたいと思ってた。でも会いに行ってはならないと思ってた。お姉ちゃんいたからね。
手記にはその時期の内容もあるけれど文字に起こすにはちょっと違うかな。
いや、散々ここまで話して置いて今更か!っていうのもごもっともなんだけど…苦笑
藍との思い出じゃなく私の胸の内と藍への御手紙だからね。
このブログの最後の最後に数枚写真を載せようと思ってるからそこに貼るね。興味ある方がもし居たら。
常に兄か親が交代でお家には来てくれてたな。
自分と同じ誕生死を経験した方をインターネットで探してはお互い天使になった我が子の話をしたり。
このような書籍も読んでいた。
やり場のない想いを何処かに縋りたかったんだと思う。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
話は少し逸れて『数字にまつわる話』
前回のブログでも少し触れたね。いつかそんな話もしようかな、と。
もうその時は今回のテーマも決まっていたので伏線の回収という事になるんだけど。
藍の49日や数年後の藍の誕生日に朝の情報番組やラジオでAIさんが出演されstoryを披露されていたり流れたり。そんなあたりは偶然だねwレベルだとして。
藍の手記の中でこのように書いた事がある。
これから数年後、パパに新しいママと同時に新しい赤ちゃんが出来た。その更に数年後どうしても止むを得ない事情で元旦那の戸籍か住民票を取得するとそこに載ってた赤ちゃんは7月23日生まれの女の子だった。
藍にママのお願いが届いたのかな?と思った。
その後まもなくインドの小僧である末っ子が生まれたのは11月18日。藍の出産予定日だ。
なんだか偶然とは思えないような自分ですら俄に信じ難い嘘のようなほんとの話。
諸事情で藍の遺骨は1度納骨堂に納めたものの引き取ったという話。
元々は相手方の姓の納骨堂に藍は入った。離婚になり、最初はそのままにしていたけど相手方の再婚が決まった事と、相手方は母が居なく大婆ちゃんに育てられていたので大婆ちゃんの年齢から先々を考慮するとスペースやら現実的な問題で藍を引き取るのが何よりだった。
そうして数年後大婆ちゃんが亡くなった。藍と同じ命日の8月1日だった。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
『まとめのようなもの』
先に伝えます!
7月あと1週間ありますが来週はブログお休みします!藍との大切な時間が控えてるので。週1更新の約束でしたがどうしても外せないのでリアル優先にさせて貰います!ブログはまた気が向いた時に…。
こんなゲーム垢で、長くて知らなかった方が良かったかも知れない話をここまで読んでくれてありがとう。
多分伝えたかった事の8割くらいは書けたと思う。
もしかしたら
「こんな記事わざわざ書かんでも…」「写真までは載せなくても…」「そもそも身内の死を扱う?」「いや、お前の懺悔とか心境とかいらんし…」とか色々思う方もいるとは思う。
それでもいい。
だってこんな時期に位しか次女の話するきっかけも無いし。
生死は凄く大きな差だけど3人ともどこに居ようが私の可愛い子供なんだ。年に1回くらい母さんは藍ちゃんの話もしたいよ。
当時さ、ある程度落ちついて復職したりしてさ外に出始めた時しんどかった事があってさー。
例えば同時期に会社にお孫さんの出産控えた方がいてね。そしたらさ「うちの孫はおかげさまで元気で首も座ってね~あら…ごめんなさ~い」とかさwいやいやwwうちの子首は座ってないけど命張ったから肝はすわってますけどーwwなんて思ったり。せっかく私だって命懸けで産んだんだし頑張ったじゃん?元気だった頃の写真見せようとしたら「やめて、気持ち悪い」とか言われたりさ…苦笑、気持ち悪いってなんやねん、むちゃくちゃ可愛いし!まぁ…我が子だからじゃない?とか言われたらそれまでだけどwあと「そーいう話さ自分の心に閉まっておけないの?聞かされる人の気持ち考えなよ、もう諦めて忘れなよ」とか言われちゃったりさー!え??1度お腹から出した大切な命は閉まえませんけど??諦めて忘れる?え?じゃあ何?じいちゃんばあちゃん旅立ったら全部存在リセットなん?生きた時間ー!認めてあげてー!!とか思ったり。いっぱい傷付いた。抉られた。
でもね、ママが仲良くしてるお友達はみんな藍の事もずっと大切にしてくれるの。ママが藍の話しても当たり前のようにうんうんって聞いてくれたり誕生日もおめでとう!ってお祝いしてくれたりさ。幸せな事もいっぱいあるんだよ。
ママは藍の存在が無かったことにされる事が1番悲しい。生命が消えたとしても藍が生きた事は消えないよ。ママが生きてるうちはママの心に生きてるし、もちろんこうして誰かに話しただけで例え後から忘れられたとしても一瞬でもその人の中に藍の事が芽生える出会いになるんだよ。
そうだ、ママはさ、元々ひょうきんな性格だったけどやっぱり臆病にはなっちゃった部分もあるよw
特に大切な人達が外出するとき。
もちろんおうちにいたって突然生命が危ない事もあるかも知れないけどね…でもやっぱり事故だったり心配したらキリが無いんだけど…もう大切な人を先に喪うのは怖いんだ。だから「行ってらっしゃい、気をつけてね!」と「気をつけて帰ってね!」「おかえり!」は余程じゃない限り言うんだ。黙って外出されたとしても物音で目が覚めるし、どんだけ夜中に帰宅しても大体は目が覚める。お別れも言えないまま、別離する事は耐えられないよ。本気で不安で眠れない日もあるんだよ。
ブログ書き始めたの火曜の夜からなんだけどなかなかやっぱりキツいものはあったねw何度も筆を止めたし、何度も詰まって声をあげて泣いて泣きすぎて頭が痛くなったりw
そこまでして書かなくても…って思うのが大半の意見だと思う。
でも藍が生きてたら、
長い人生、辛い事もいわれの無いことや後ろ指指さされて悔しい思いをする事も、もちろん幸せな事も楽しい事もいっぱいあっただろう。沢山の出会いもあっただろう。不安で眠れない日もあるかもしれない、病気もあるだろう。
全部ママが代わりに請け負うよ。
なんて事ない、へっちゃらさ。
だって藍のママだもん。
藍がきっかけで生まれた感情は全て背負うよ。
育児なんてめちゃくちゃ大変で手がかかるんだよ、最低でも20年は。でも藍はママの手を煩わせる事もなくたった9日で逝ってしまった。もっとお世話させてよ。もっと甘えてよ。
母さんこう見えて案外タフなんだからw身体は弱いけどwwwあwメンタルもかwww弱いやんwでも支えてくれる友達が沢山いるから大丈夫。
大丈夫だよ、ママは別に聖人君子じゃないし立派な大人じゃないけど自分で決めた藍のルールはちゃんと守るからね。
最後に
ママは自分1人じゃ叶えられない、でも叶えたい約束を藍にしたいんだ
近い家族には伝えてるんだけどママ、マイホームはいらないのw
その代わり藍と一緒に入るお墓が欲しい
もし何かあって先に旅立つ日が来たら藍と一緒に住むおうち買ってください、って数年前からお願いしてる。叶うかな?叶えてくれるかなw
いつか必ず一緒に暮らそうね。
さて。袈裟を着よう。
やっぱり着ないと落ちつかないかもしれないw
よし!ゲームしよう!またね!
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
最後に藍との思い出の写真を貼ります。
耐え難い生々しい写真もあります。
もちろんぼかしや加工はしてます。
でも苦手な人はもう帰ろう。
ここから先はもう写真しかないよ。
藍への手記より
6年目に手記のラストページ記入
そこから7年目~12年目までは年1某所へ投稿
2枚目の最後はリアルタイムな今日の藍の仏壇
3月にお姉ちゃんは中学卒業、弟は保育所卒園
本当なら藍も小学校卒業だったね。だからママが藍に卒業証書作ったの。3人とも仲良く卒業なんだから証書欲しいよね。
藍が元気だった頃の写真
2ショットはいつもお財布に入れてるよ
小さい身体に沢山の管、よく頑張ったね
おうちに帰る前の病院で。
あと30分位じじばばお姉ちゃんが早く着いてたらもう少し肌艶の良い藍に会えたかな。
おうちに帰ってから。
ママずっと撫で撫でしてるねw
沢山おでこにキスもしたね、離れたくなかった
火葬場、最後の最期まで話しかけたね
これでおしまい。
ありがとうございました。